パワカンから始まるなちゅこ祭り脳内前夜祭(180804)

なちゅこ祭り2018、気がついたら明日が当日だぜーっ!(なちゃーん本人でもそうなのだから況やうちらにおいてをや)

ということで絶賛脳内前夜祭ちぅ。

今日のパワカンはゲスト回のなかでもとくに大盛況というありさまで、とてつもなく楽しかった。さくらしめじのお2人はもちろん、そのために駆けつけた大勢の女子。「俺達野外フェスの後方で騒ぐときみたいだな!」なんて言い合いながら、どうぞどうぞとさくらしめじファンの方々を前へ送り込んだり。壮観だったなあ。番組の前後も、集まったなっちゅりーにとたくさん語り合った。バフがかかりまくった状態で、いざ、前夜。

伝統と格式と実績と信頼の!…とは、パワカン内でのオリコン・チャートとビルボード・チャートに対する形容(京葉銀行だけに)。うちらも、(歴がどうとかではなくて)それぐらいの気概で、この8/4パワカン~8/5なちゅこ祭り~8/6 00:00に臨んでいる。またギア上げてくぜ。

ヲタクあるあるなのか人類あるあるなのかわからないけど、直前って案外イベントを戦い抜いた後のことに想いを馳せちゃったりするもの。で、楽しみ!って気持ちは、こわい!と紙一重でもあったりするので、何が起こるかわからないエンタメ界…戦い抜こうぜ!と奮い立たせることもある。実際、アスリート界では「世界選手権や五輪での優勝の翌朝をイメージ・トレーニングする」というやり方もあるくらいだし。夜の部のあと、夕飯なり居酒屋なりを経てはすぐにやってくる8/6 00:00を、どんな気持ちで迎えるか。そこに待ち受ける未来は!……なんちて。エンタメ界における武道館の価値はかなり下がったと聞くけど、じゃあ何が価値あることなのか?なんてーのはまさに現場の皆様のみぞ知る事柄であるはずだし、ちょっと受け身だけど、いい意味でアタマを空っぽにして、あるがままを受けとめ受けいれて、よろこびに浸りたい。

今回、なちゅこ祭りに向けて、ネギま!以来70曲近くある歌の数々に対して個別にあれこれ書いていく気でいたんだけど、まあ案の定際限無くてまとまらなかった。それはそう。さしあたって、フワッとした全体的な話だけして、明日に進もう。

まずは、ももーい御大のありがたいおことば(2017-10-10)から。

最近、『ライブは光る棒持っていなきゃいけない』とか、『この曲はこの色』とか、そういうのがありすぎる気がするんですよね。もちろん、私がお客さんの楽しみ方に口を出す理由はないとも思っているんですけど。

でも、『こうしなきゃ』っていうのがありすぎる気がしているんです。[…]

全力で楽しむもよし、遠巻きに大人しく見る、観測者になるもよし。無秩序ということではなく、本当に自由に楽しんでほしいなって思っています。

これに尽きる。

過去に他のなっちゅりーに達と一緒にコールブック作らせていただいた人並の感想をいうと、コールブックなる文化ってーのはおもしろいもので、あれ、書き終えた時点で、思考はもう何歩か先にある。もっとも書くという営み自体、何事によらず、つねにそういう効果をもつものだ。言語化しづらい思考が言葉に書き下せたとき、思考は次の言語化しづらい領域に進んでいる。とすると、コールブックというのは教典じゃなくて一里塚であって、次なる思考の叩き台だ。実際、以前書かせていただいたモノを読み直すと、まあヌルくて笑っちゃう。ごめんなさい。でもこれが本音なんです。サウンドと、現場現場の雰囲気と、再現性のないナマモノLiveに身を委ねて、楽しみたいように楽しもうじゃありませんか。

身を委ねるってーのは、各作品に自然と誘導されるってことでもある。実際、現場の印象として「Oi! Oi!跳びたい派が多い」とか「mixとか口上とかは割と早く廃れた(ドルソンcover/self-coverだったら入るかな程度)」ってのがあるのも、「跳びたくなるようなサウンドが多い」「PPPHじゃないサウンドのBメロも多め」といった各作品の仕様によるものだろう。サウンドの作り込まれ感というか。実際、跳んだり拳突き上げたり踊ったりする方が楽しいし。それと、仕様というと「曲中にコーラスが掛け合いCall & Responseのように組まれている」ってのも大きい。もはや口上っぽくね?というのはご愛嬌。たしかに全部言いたいタイプのヲタクにとっては記憶ゲーだけど、これがまた不思議なもので、自分が言わない(知らなくて言えない)場合であっても、隣のヲタクがフルコンしてると、なんか自分までフルコン達成した気分になったり。自分自身の「楽しいーこれ!」(CV. ぐるナイの岡村隆史)に対して素直でいよう。ただそれだけだ。

そんな中で定型として定着したのは、

\オーッ、なつこー!/

だ。Aメロ折り返しなどで使われる。Perfect-area complete!だとサビにも登場する。考えてみると、音韻としても、「ワッショー(ィ)!」に通じるので、クチにも馴染みやすい。

ちなみに、「\オーッ、なつこー!/の前に何か叫んでいる人いませんか?」と訊かれることがある。答えはシンプルというか呆気ないものだ。「尺として全く別の一般コール(現場を問わないもの)が使われやすい部分なので、その全く別のものが聞こえているだけだよ」。実際、円盤では不思議な力で一般コールの方だけ消された。

他方で、ももーい御大も触れていた曲の色の件では、うちらの現場の印象として割と遣い分けられていた感があるので、すこし責任を感じる。ただ、これには別の経緯がある。正直言って、時代背景によるものだ。というのも、なちゃーんのいわゆるイメージ・カラーが橙色であるときに、今でこそ普通になった「ライブ中ずっと橙色のペンラを点け続ける」というやり方が、以前は違和感のあるものだったからだ。その理由も単純で、「電池式ペンラがまだ普及する前のこと」「公式グッズの橙単色の電池式ペンラでは火力不足」「やっぱり使い捨てであるウルトラオレンジ“UO”はここぞの場面で焚くもの(それこそももーい現場ですよね)」ということによる。こういうことで、とくにタイトル曲で振るリュームの色をCDのジャケ写に寄せていくことが増えていったし、1stアルバムの頃にはタイトル曲以外に対しても「この曲何色のイメージ?」なんて質問がニコ生で流れたりした。もうこれは時代の産物だったといっていいだろう。冷静に考えて、多色ペンラ普及前に、それも使い捨てリュームで多色をやってたの、自分でもビビる。サンキュー、多色ペンラ。もっとも、ジャケ写から何から色遣い豊かな仕様の作品が多かったので、それに自然と誘導されたようなものかもしれない。

ペンラ環境がよくなって、ずーっと橙色でも別に違和感ないよ!という時代に突入すると、開幕時から橙一色ってのもできるようになる。さらに、イメージ・カラーが橙であることによって、 UO焚くという行為がナチュラルにバフになるから、楽しさが増す。そしてイメージ・カラーが橙だからこそ、UO焚く系のアンセム級のときにフロアが橙一色に染まる。こうした積み重ねは、ついにPrecious toneの「オレンジの光 明ける世界 夢じゃない」に結実していったんだ。伝統と格式と実績と信頼の!…とはいわないまでも、1つのkIzuna(絆)のカタチだ。

うん。「素直に喜べなくて」なんて言わせねえぜ!って気分になってきたぞ。いいところで、ぐっすり寝よう。全力で楽しもう! それだけ! 明日、現地で!!

コメント